九鬼周造は『「いき」の構造』で「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならない」と言っています。 哲学を単なる論理としてではなく、現実から逃避することな く、それをしっかりと見つめ相対すること、存在を把握する こと、現実そのものを生きたままでとらえるような哲学をこの本で言っています。
九鬼はその中で、『「いき」の構造』を「媚態」「意気地」「諦め」 によって、男女関係、武士道と言った言葉で説明しています。
男女関係においては、「いき」をそのの距離で説明しています。お互い求めすぎたら「媚態」がなくなってしまうと。「媚態」をギリギリの距離で保ちつつ、共同体的な二元的関係を作って行くことが「いき」であると言っています。これは「媚態」から離れて、男女関係に限らず多種多様なコミュニティ、共同体にも当てはまると思います。そして多様性と寛容性から新たな創造性が生まれてくるのではないでしょうか。
「いき」で「いなせ」、日本文化っていいですね。 まぁ〜難かしいことはおいといて「粋」で「オシャレ」な人生、時間を過ごしたいものですね。 写真は先日頂いた吉備高原のササユリ(シライトソウ)と赤毛の女です。淡いピンク色したササユリと高貴な香りのシライトソウが紅緒のまったりとした空間を一層際立たせてくれています。
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