高梁基督教会 特別講演礼拝 その二
「ハンサム・カップルー八重の桜・襄の梅」
≪本日の礼拝 八木橋牧師の聖書の言葉≫
コリントの信徒への手紙二 第四章十六節~十八節
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、くらべものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが見えないものは永遠に存続するからです。
この言葉は、本井先生の講演の中でもたびたび出てきました。いわゆる負け組の歴史である会津出身者を主人公にしたNHK大河ドラマ「八重の桜」とその夫新島襄たちの生き方そのものなのです。今の閉塞感漂う状況に新たな気付き、人生のヒントを改めて気付かせてくれたような気がします。
歴史とは勝者の歴史です。しかし、その勝組の作った仕組み(中央集権)が制度疲労をおこしています。勝者と敗者、東京一極集中と地方の過疎化、衰退。
勝者からみた仕組みづくりではなく、もう一方からの視点を同時に併せ持った仕組みづくりが求められているのだということです。
いよいよ高梁の出番がやってきたようです。しかし、それにはこれまでとは違った視点、新たなまちづくりのセンスが必要な気がしますが、、、、。
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